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A Beautiful Mind 服部哲弥


2002年のころ, "A beautiful mind" という映画がありました. 原作(?)は "A Beautiful Mind --- The life of mathematical genius and Nobel laureate", John Nash です (Sylvia Nasar著,Touchstone book, 初版1998年,以下は2001年版のpaperbackに基づく).

そのころ,あるメーリングリストに, 「なぜ beautiful mind (「美しい思考」とでも訳しましょうか)という題なのか?」 という質問が載りました.

Date: Sun, 7 Apr 2002 05:16:16 +0900
whats the meaning of the words "beautiful mind" in the film?
 ...
Date: Mon, 08 Apr 2002 18:02:49 +1000 (LDT)
誘われたので私も見てきたのですが,私もどのあたりがbeautiful mindなのか
よく分かりませんでした.
同僚の原隆先生に薦められて本を買っていながら雑用で忙しくて読み進められずにいた 私は,この会話に答えるというもう一つの動機を得て本を読むことにしました.

この本は, 1928年6月13日生まれ(本書§1. "Bluefield" の中 p.35 による)の John Nash が

  1. 20才代という若さで, 後の経済学に大きな影響を与える非零和ゲームの理論(Nash均衡点の概念の発見) を開拓すると同時に,数学の複数の分野で大きな業績を挙げ,しかし,本人が 期待していた早期の受賞や教授職などの栄誉を逃した30才代の若さで 統合失調症(schizophrenia,2002年以前の公式名称は精神分裂病)を患い, 10年以上悪化の道をたどりつつも,その後, 夫人の20年以上にわたる長期の献身的な介護の下で徐々に奇跡的な回復を遂げ, 出身大学 Princeton の元同僚の支援などを経て学界に復帰, 60才を過ぎて若いときの業績によってノーベル経済学賞を得た, という学問上の経過,および,
  2. 特に学問的にアクティヴだった若いころにわがまま傲慢不遜だったこと, たとえば,最初の恋人との間に子供をもうけ,事実上の婚約までしていながら, 彼女を捨て,別の,より家柄の良い女性と結婚したこと,などの本人の人生背景,
を,客観的な多量の引用資料を連ねることで浮かび上がらせた伝記です. 映画はこの本に基づきつつも,大きく細工を加えてサスペンス仕立てにしたものです.

メーリングリストの質問者の意図は, この映画なり本なりが一人の数学者に関する伝記であることへの関心だったようです. (それは私のこのページを読んでくださっているあなたと同じ方向の関心でしょう.) しかし,私はむしろこの本の著者,即ち,自然科学者とは無縁の, ジャーナリズム畑の人,がなぜ beautiful mind という句を題に選んだか, に興味を覚えました.以下はそのこと,すなわち, 一人のきわめて特殊な数学者の人生にどのような普遍的な人間性を見い出しうるか, に関する私の,普遍的でないかもしれない一つの,感想です.

この本の中で "beautiful" という単語はさほど出てきません.

まず, "beautiful" が "mind" を修飾するところは, 私が気づいた限り一カ所あります. それは Nash が Princeton大学の院生だった時期, ゲーム理論の分野での師匠役(と呼ぶのは必ずしも適切でないか?)の Shapley が 初めて会った頃の印象を記したところ (本書§11. Lloyd (Princeton 1950)) です.

シャプリーは,後年の彼自身の言葉によれば, ナッシュの「鋭く美しい("beautiful")論理的な思考("mind")」 に目を奪われた. (哲弥訳)
He was dazzled by what he would later describe as Nash's "keen, beautiful, logical mind". (原文)
「思考の流れが美しい」というのは,特殊な表現ではなく, すぐれた数学的思考を形容するのに(ある感慨を込めたいときに特に)頻繁に 用いる表現です. そういう標準的な意味で「すぐれた数学者」の意味も込めて"beautiful mind" と表題をつけた,ということはもちろんあると思います. 実際,著者にとってはこういうことだったかもしれません: 副題にあるとおり「すぐれた数学者」という趣旨の題を考えていたところ, 数学者はそういうときに beautiful という単語を用いることを知った. そこで,より短い "A beautiful mind" を本題とし, それをより正確に説明したものを副題とした,と.

"Beautiful" という形容詞は,思考の流れだけではなく, その成果としての定理に対しても類似の感慨と共に頻繁に用いられます. 本書でも,Nash の初期の数学的成果である埋め込み定理について 次の一節があります(本書§15. A beautiful theorem (Princeton 1950--51)).

現在でもナッシュの結果は数学者にとって,利用可能性はともかくとして, 「美しく驚異的」な結果という印象を与える. (哲弥訳)
Today, Nash's result still impresses mathematicians as "beautiful" and "striking" --- quite apart from any applicability. (原文)
(なお,Nashの埋め込み定理とは本書p.161の記述によれば, なめらかでコンパクトな k次元多様体 M に対して, 実 2k+1 次元ユークリッド空間の部分集合になっている 実代数的 variety V,および,V の連結成分でなめらかな多様体 W, が存在して, W が M に微分同相にできる,というものだそうです.)

たしかに,「思考の流れが美しい」というのは, すぐれた数学的思考を形容するのに頻繁に用いられる表現です. しかし,私はもう少し深読みしてみたいと思います. "Beautiful" という単語をもう少し個性的な意味で使っているのは, 本人の病状が奇跡的に回復しつつあった(が,まだ周囲は気づいていなかった) 1980年代(Nash 50才代)末のエピソードです(本書序章の最後近く p.23). Princeton を徘徊することを黙認されていた Nash に Freeman J. Dyson という, 大物物理学者が出くわしたときのことを記した一節があります. Dyson は,量子電磁力学理論の研究でノーベル賞をとった Schwinger, Feynman, Tomognaga についで第4のノーベル賞候補とされていたという噂をどこかで聞いた ほどのすぐれた物理学者です.

1980年代の末のある日,そのころ毎日のように続いていた曇り空の朝, ダイソンはいつものようにナッシュにおはようと挨拶した. ナッシュは「お嬢さんが今日もニュースに出ていましたね.」と返した. ダイソンの娘エスターはコンピュータの権威で,たびたびメディアに登場していた. ナッシュに話しかけられたことのなかったダイソンは後にこう言った: 「私に娘がいることを彼が知っているとは夢にも思わなかった.美しかった ("It was beautiful").そのときの驚きはいまも忘れない. 私がもっとも感動したのは,この,覚醒の遅さだ. どのようにしてかはわからないけれども,彼はとにかく眠りから覚めた (統合失調症から回復した). かつて誰も彼のように目覚めた人はいなかった. (哲弥訳)
On one of those gray mornings, sometime in the late 1980s, he said his usual good morining to Nash. "I see your daughter is in the news again today," Nash said to Dyson, whose daughter Esther is a frequently quoted authority on computers. Dyson, who had never heard Nash speak, said later: "I had no idea he was aware of her exisence. It was beautiful. I remember the astonishment I felt. What I found most wonderful was this slow awakening. Slowly, he just somehow woke up. Nobody else has ever awakened the way he did." (原文)
Dyson の発言の中の "beautiful" は, どうみても数学的思考に関する記述ではありません. Dyson が Nash と人間的なつながりを感じることができたことを指して 「美しい」と表現しているように感じます. 序章にこのエピソードをわざわざ引用していることからみて, 著者がこの Dyson のこの表現を重視している可能性もあるでしょう. 実際,「人間的なつながりがあるということ,または,その反対の 闇として,つながりをもてないこと」は,この本に示される Nash の人生にとって 重要なテーマになっています.

「人間的なつながり」という視点で Nash に関して "beautiful" という 形容詞が用いられたところがもう一カ所あります. 1953年6月19日に最初の子供をもうけ,事実上婚約していた相手 Eleanor は, 結婚しようともせず子供の養育にも手も金も貸そうとしない Nash と うまく行かない時期が続き,1955年に Nash がその後夫人となる Alicia と会った後 まもなく Eleanor は捨てられます. その,少し前,まだ妊娠中の時期に関する記述の中に次の一節があります.

しかし,穏やかなときもあった.たとえば,ナッシュが彼女に,彼女のおなかが (妊娠で)大きくなっているのを見るのが好きだと言ったときのように. そして,エルナはナッシュのことを,いろいろあっても,愛していた. 彼女は,彼が彼女を愛していると信じていて,彼がたいへん楽しみにしている ようにみえる子供のことはきちんとしてくれるだろうと信じていた. 彼女は今でもそのころの二人の関係を美しい("beautiful")関係として 思い出す. (哲弥訳)
But there were also tender moments --- when, for example, Nash told her that he liked the way she looked with her big belly --- and Eleanor's feelings about Nash were, on the whole, loving. She was convinced that he loved her and would do right by the baby, whom he seemed to be looking foraward to with great eagerness. She still recalled that period of their relationship as "beautiful". (原文)

注目したいことは,「人間的な関係を持てる」ということを 「美しい」と形容する,まさにその点です. 通常は「人間どうしが人間的な関係を持つ」のは当たり前のことです. ですから「美しい」という形容をするためには,まず 「人間的な関係を持つことが当たり前でない相手」であることが 前提になります.実際本書から上に引用した箇所では, Nash が人間的な関係を持つことが当たり前でない,と認識している 人たちによって "beautiful" という形容詞が用いられています. 「人間的な関係を持つことが当たり前でない相手」が,時に人間的に なるとき,それを beautiful と言う場合があるということです.

本書は,ある天才的数学者が若いうちに驚くべき業績を挙げ, 「天才と○○は紙一重」という politically incorrect な古語どおりに 精神の病気になり,30年を経て若き日の業績で受賞の栄誉に輝いたとき, 奥さんの献身的な介護のおかげで奇跡的に回復していた, という精神の驚異,という表のストーリーの裏に, 周囲に迷惑をかけ続ける Nash の極めて低い人間性の例証が, 読者(私)を不快にさせるほどにこれでもかこれでもかと積み重ねられる, もう一つの,同じだけ長いストーリーがつづられています. 病気が悪化した時期にNashがいた大学関係者の多くや Nash の実妹など, 迷惑を受けたであろう人たちの Nash に対する印象が非常に悪いことが 抑えた記述からも読みとれます.しかし,それだけではなく, Nash は発病前から「人間的な関係を持つことが当たり前でない相手」でした.

たしかに,数学者を含む自然科学者の社会の中では,「人間性」は「業績」との 合計で議論される傾向があります.世界的に飛び抜けた業績があれば, 人間性に欠点があってもお目こぼしに預かります.(もちろん, 「人間性」という概念も「業績評価」という概念も,五十歩百歩なのに無理に 差をつけられがちな,かつ,評判が一人歩きしがちでもある,極めて ill-defined な 概念です.日本で他人よりちょっとすぐれているという評判だけでお目こぼしに 預かる,ところまで行くと,問題があります. ただ,Nash の業績はたしかに飛び抜けているので,この「評価」の問題は 本書では除外して考えて大丈夫でしょう.) このような,「人間性と業績の差引勘定」の感覚は本書でもさりげなく 描かれています(本書§45.Fantom of fine hall (Princeton,1970s)). Nash の病状が安定してきた1970年代(40才代)以降,かつて業績をあげたという 理由によって,大学の施設を利用し続けることなどを黙認されていた Nash は, その奇怪な行動によって学生から亡霊(Phantom)と呼ばれていたようです.

学生の間では「亡霊」は他山の石として引き合いに出されることが多く, あまりにがり勉だったりたしなみに欠けた学生は, 「いつか亡霊のようになってしまうぞ」と注意された. 他方で,新入生が,亡霊がうろうろしていて気分が悪いと文句を言おうものなら 直ちに 「彼は,おまえが将来なれるよりずっとすぐれた数学者だったんだ!」 との警告を受けた. (哲弥訳)
Among the students, the Phantom was often held up as a cautionary figure: Anybody who was too much of a grind or who lacked social graces was warned that he or she was "going to wind up like the Phantom". Yet if a new student complained that having him around made him feel uncomfortable, he was immediately warned: "He was a better mathematician than you'll ever be!" (原文)
しかし,これは差引勘定の話であって,"beautiful" という形容詞を贈る ような情緒的な話ではありません.上記引用の中に beautiful という形容詞は 入り込む余地がありません.

そうすると,beautiful という単語を「人間的つながり」という状況に 用いるのはどういう心の動きでしょうか? Nash のような人間性の低さも,病気を患って (最後まで見捨てなかった奥さんと共に)長い苦労を経たことで, 人間的賞賛に変わるのでしょうか? しかし,それは不公平というものです. 一方では,同じ病で多くの人が自殺するなど惨めな人生を余儀なくされています. 他方で,Nash はかつて業績をあげたという理由で 大学の施設を利用し続けるなどのお目こぼしに預かり, 最後はノーベル賞をもらう. 献身的な妻やかつての同僚の強力なバックアップという大きな幸運を得た上に, ノーベル賞までとは不公平きわまりないというものです.

私には本書に描かれる Nash の(病気以前の)「人間性」は, 忌むべき醜いものとしか見えません.Beautiful という単語には ふさわしくないものです.また,病気になって人間としてのつながりを失って いく Nash の状態を beautiful と呼ぶこともできないでしょう. それにも関わらず,醜いものの間につかの間見えた,暗闇の中のわずかな光の ような人間性の片鱗を beautiful と呼ぶ,その心の動きを考えているうちに, 昔読んだことがある「花飾る」という社会学的概念(?)を思い出しました. それは葬儀の会場に生花や花輪を飾る人間的理由に関するものだったと思います. 死という,それを治療するいかなる方法も補償するいかなる方法もない, 人生のもっとも忌まわしい場面において,人はただ「花飾る」ことしかできない, そして「花飾る」ことをする,というものだったと思います. 隠すことのできない醜い面に対して,ただ,花をそなえるという, 何かをせずにいられない無力な人の姿.

 ...

若いときから自分を身分の高い家柄と自慢するなど尊大に育ち, 有名になれるかどうかで研究課題を選ぶなど傲慢かつ世俗的であり, 子供を作った上で婚約不履行をおかして別の女性と結婚するなど 他人を傷つけることに鈍感な Nash. 病気が奇跡的に治ったあとも, 最初の子供やその母であるかつての内縁の妻との関係など, 尊大傲慢わがままな姿勢はなくなったわけではない. 迷惑を受けた人から見れば不愉快きわまりない人生. そういう人間の醜いところを集めたような人生を花飾る言葉として, 著者は(無意識にかもしれませんが) beautiful mind という題を選んだ 気がします. ちょうど,葬儀において花を飾るように. 人間のあらゆる醜いものが出てしまったこの人生を,この本によって「花飾る」 というのが著者がこの本に対して感じたことの中にあったのではないか, そんなことを思います.

2001年版には1998年の初版にエピローグが新たに加わっています. その内容は,病気が深刻になったとき以降ずっと法律上離婚していた Nash と Alicia との再婚(Alicia は離婚したにもかかわらず,従って, 法律上は義務がないにもかかわらず,献身的な介護を続けていました), それから, 2002年の映画公開時点で現存していた Nash 自身の 本書に対する評価が,否定的なものから肯定的なものに変わったこと,です. この期間の Nash の変化は本書の著者にとって "beautiful" だったことだろうと思います.


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