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東北写真編


若い頃から東北地方には惹かれるものがあって, まさか東北地方に就職することがあるとは思っていなかった頃, 夏休みの観光では何度か訪れていました.

初期の柳田国男が雪男伝説などに惹かれたのは,異質なものとの摩擦による文化の発展 への期待ではないかと思いますが,そういう意味での興味が東北地方に対して ありました. その後,(再び,その後の柳田国男とたぶん同様に) 作物の育ちにくい寒冷気候では 対抗勢力になりうる力は育たないと感じるようになりました.でも, 温暖化(地球規模,あるいは,都市化)が叫ばれる今日, 東北地方の出番は近いかもしれません.

デジカメを持っての旅行は少ない(しかも手持ちのは旧式で光学ズームも無く 手ぶれも補正しない)ので,いちばんおもしろいところは写真にありませんが, 気が向いたら写真がファイルの奥から出てきたときに少し載せてみます. 以下概ね北から南へ.

  1. 恐山
  2. 田名部祭り
  3. 弘前市
  4. 秋田市
  5. 盛岡市
  6. 松島

恐山(おそれざん)

恐山は本州最北端下北半島(津軽海峡に突き出ている二本のうちの東側の「角」) の中央部分の山の中にある,イタコによる降霊で有名な霊場. 特別な場所なのかどうか確認したいと思い, とある夏休みに下北半島を車で一周した. 硫黄泉の沸く不毛の地で,それなりに独特の光景だとは思うが, 観光地化して久しいのか,結論は,イタコがいなければ霊もいないということ. そして,例大祭の時だけパートタイムでやってくるイタコに 霊を捕まえることなどできまい,と確信. しかし,観光地と割り切ってしまえば,他にない光景で, このようなイメージを作り出した人間心理が興味深い.

門の手前に思わせぶりにあるアーチ型の橋はたしか 無意味な方向にかかっていて渡る必要がない. 門をくぐると先ずひたすら広い参道,中の門をくぐるとまた ひたすら広い参道.(下の写真は距離感がわかりにくいが, 山の大きさに注意.) 長野の善光寺のような普通の場所. 例大祭のときにはここに出店だのイタコだのがずらっと並んで 商店街になるのだろう. 青森 恐山 橋 青森 恐山 門
青森 恐山 参道 青森 恐山 門その2 青森 恐山 門その3
青森 恐山 門の飾り 青森 恐山 季節はずれの参拝客 普通の,本州最北端の山の中という立地から考えるとたいへん立派な,お寺. 祭りでもなく場所も不便な割に観光客が来るのはすごいことかもしれない.

ひとたび庭(?)に入るとカラスの似合う荒涼たる光景.
青森 恐山 地獄巡り 青森 恐山 もっと地獄巡り 青森 恐山 カラス
荒涼の自然科学的原因は硫黄.ちなみに,宇曾利山湖という湖のほとりにある.
青森 恐山 硫黄の沸き出し 青森 恐山 硫黄の宇曾利山湖への流出 青森 恐山 宇曾利山湖

しかし,硫黄は言い換えれば温泉.辺境の地の山奥も言い換えれば 人混みにじゃまされない山の中の湖岸. 恐山というイメージを脇に置いて虚心坦懐に眺めれば, 美しいリゾート観光地として売り出すこともできるはず. 青森 恐山 宇曾利山湖側から見た地獄巡り 青森 恐山 宇曾利山湖に入る
青森 恐山 地獄巡り遠景 青森 恐山 仏像 青森 恐山 屋根
人がここを荒涼とした場所にしているように思う. でもなぜここだけそうなのかは今もって分からない.
青森 恐山 赤い風車と白い仏像 青森 恐山 赤い風車

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青森 田名部祭り

田名部(たなぶ)祭り

恐山が本州最北端下北半島 にあるように,田名部祭り(田名部神社例大祭)は本州最北端の祭りと呼ぶときも あるようだ. 下北半島は大部分がむつ市になったためにわかりにくくなったが, 本来は市の中心地,現在のむつ市役所の周辺,のいくつかの町のお祭り.

祇園祭りを主合わせる山車を並べて練り歩く. 海運業で栄えたことで関西の流れを汲む祭りが伝わった, というのが最近の説らしい. (詳しいことや,より多くの写真は,「しにせ」のweb,たとえば, むつ市のホームページの下の 「田名部まつり」のページにリンクされている「 北のみやび 田名部まつり 」へどうぞ.)

祭りのクライマックスは五車別れ.町の代表の山車が交差点で出会って, そこで代表が酒を酌み交わして来年の再会を約束するのだとか. もともと恐山を見るつもりで下北半島に来て,JRの企画で大湊に泊まっていたとき, たまたま田名部まつりの五車別れの日だとフロントで話を聞き, そのままホテルの従業員のかたの車に乗せていただいて山車が出会う交差点に. (JRのホテルのかた,その節はどうもありがとうございました.) 何の予備知識もなかったが,大きな山車が狭い道で出くわすさまは, けんかのにらみ合いにも見えて緊張感があった.儀式は群衆で全く見えないが, 大都市の祭りとは違うすばらしい熱気が記憶に残る. 祭りが「都」というブランドや流行追随で始まったとしても, 今に伝わるあの熱気はそれだけでは説明しづらい. 東北地方の「都」に対する微妙な思いがそれを支えている気がする. 将来は市の祭りになっていくだろうが, そのときこの熱気と独自性を維持できるか心配だ.

なお,田名部祭りの1,2日前に,少し南の野辺地でもお祭りがある. JRの接続のついでを利用して,「ちんちんアイス」(鈴を鳴らして自転車で 売りに来ることから来た名称らしい)なる, 赤青白の原色着色料の古典的氷菓を買いに途中下車したとき出くわした, どこか葬式を思わせる静かな不思議な行列.


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弘前市

青森 弘前駅前 駅前は「ふつー」にこぎれいに再開発されて駅ビルにバスのロータリーという おなじみの光景.駅ビル(アプリース)にコンビニやミスド. (イトーヨーカドーとダイエーも駅近く.パルコは遙か遠く.) ねぷたまつりの文字だけが弘前らしい. 駅前から延びる,これまたこぎれいに再開発された遊歩道 を端まで行くと,1960年代にはどこの町にもあったような「商店街」 (歩道に屋根が付いているタイプ)の痕跡.

ご多分に漏れず,「商店街」はにぎわっているとは言えないようで, どこでも見るように開いているのは, ゲームセンター,漫画喫茶,観光客向け喫茶店,不動産,そしてなぜか, どこでもそうだが,果物屋,など. 駅前遊歩道側との交差点から西に向かって最初のほうに 紀伊國屋書店ががんばっている. 途中に中三(なかさん)なる土地の(?)デパート. 店先で,ねぷたまつり用なのかミニ提灯などが売られている.
青森 弘前 アーケード街 青森 弘前 中三デパート

青森 弘前城公園 この「商店街」道を西に進むと弘前城公園のほぼ南端に出る.森林公園の趣.

公園の少し手前にねぷたまつりの出番待ちのはりぼてが格納された仮設倉庫を発見.
青森 弘前市 ねぶたまつりのはりぼて格納用仮設倉庫 青森 弘前市 ねぶたまつりのはりぼて

青森 弘前市内から見た岩木山 弘前から西に向かう道の向こうには,西北西10km強にある岩木山(津軽富士1624m)が 浮かぶ(たぶん写真に写っているのは岩木山で正しいと思うけど,地理と歴史は 赤点同然だったので…).

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秋田市

秋田稲作地帯 北東北地方の他県,青森県や岩手県と比べると水田の広大さが際だつ. 東北地方では秋田で生まれたあきたこまちが宮城で生まれたひとめぼれに次いで 作付け面積2位とか. 八郎潟の水田は東北本線からは見えないのが残念.

秋田新幹線こまち秋田駅 こまち. 全車指定の新幹線という建前だが,秋田盛岡間は立ち席特急券でも乗れ, 単線を走って各駅停車と途中駅ですれ違う,普通の特急. 秋田から大曲まで座席が後ろ向きのまま走るのが最大の特徴か. 大曲で進行方向が逆転して,闇は晴れ謎が解ける. (「つがる」は青森で,「しなの」名古屋発は米原で,進行方向が逆転するが, それぞれ各自で座席を反対向きにするので進行逆向きに座ることはない.)

秋田駅前は一見大都市風だが, 駅前すぐのところにいきなり広い千秋公園(久保田城趾). 病院と高校も集まっている,不思議な構成. 駅を町はずれに作ったパターンか? もう少し見て回らないと分からない.

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盛岡市

盛岡市中心部 北上川
盛岡駅から町の中心に向かうと北上川を渡る.橋から北のほうに見えるのは 岩手山(2039m).(だと思うが,地理と歴史は赤点同然だったので….) 写真は雲がかかってわかりにくいが, 晴れていればなかなか美しい眺め,のはず.

盛岡市中心部 盛岡城跡岩手公園 盛岡市中心部 盛岡城跡岩手公園 南部家銅像の無い台
岩手公園(盛岡城跡). 東青森と北岩手にまたがる南部藩は幕末に朝敵となったため, 城は明治初めに焼かれて跡地は公園. 盆踊りのような踊りの練習をやっていた.鼓笛隊が先頭を歩く本格的なものだが, 何の踊りだろう.

高台には像のない台座.日露戦争に出征し,満州事変で戦死した南部家42代が その貢献により明治維新の際の朝敵の汚名をそそいだとして像を建てて たたえたが,太平洋戦争の際に軍需資材として供出させられて台座だけになった, と説明がある.

南部藩(だけでなく,おそらく秋田の佐竹藩と青森西部の津軽藩を除く東北の 全ての藩)の,「中央」に対する微妙な距離感を感じさせる.

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松島

天橋立(あまのはしだて),厳島(いつくしま)とともに日本三景の一つと 伝統的にノミネートされているだけのことはあって,「典型的古典日本的」 観光地点.多くの日本庭園がこの光景をまねしたことであろうと思われる. 竹田雅好先生によれば,「仙台が初めてのお客人はとりあえず松島に 連れて行くのが常識的な線」,「仙台からJRで30分,遊覧船が1時間, 合計5時間も見ておけば十分」とのことで,まさにその通り, (本当は,遊覧船発着場の真ん前にあるお寺にも行っておくのが正しい 見学コースらしいけど,それは後になって言われた.)

宮城県松島 Martin Barlow夫妻

昔の共同研究者Martin Barlow教授ご夫妻を案内して, 人生の半ばを過ぎて初めての日本三景. 若い頃は典型的古典日本的景勝地は退屈に思えて, 人ばかり多そうでうんざり,という認識だったが, 何が出てくるか分かっているというのは,緊張感無しに 楽に楽しめる,という価値を再認識.


海と空の青の間に緑の松林と赤い歩道橋,その手前の埠頭から出る遊覧船で 内海に点在する小島を眺めつつ船から手を伸ばすと,観光客慣れしたかもめが すぐにえさを求めて近寄る.
宮城県松島 橋 宮城県松島 観光船
宮城県松島 小島 宮城県松島 かもめ

そうこうする間に船は無数の小島の間を行く.白い岩肌にしがみつくように生える松 を眺めていると,時折,小島の岩に穴が開いているのを見かける. 全てが典型的古典日本的景勝地の趣.
宮城県松島 白い岩肌 宮城県松島 白い岩肌近景 宮城県松島 白い岩肌に空く穴

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