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講義とは? 服部哲弥
私の講義感 (1999年現在立教大学版)
ある一人の学生が私に教わりたいと思うかどうかは,「縁」の問題である.
私と相性が良く,しかも,何かのきっかけがあった諸君のみが,
実際に私の講義から本当に何かを吸収することになるだろう.
そのごく少数の諸君のために私の講義はある.
一つの講義に一人そういう学生がいれば私の講義は大成功であると考える.
しかも,実際に講義の最中にどれくらいの内容を吸収したかは必ずしも重要ではない.
勉強を始める「契機」となれば,それが講義の最大の効果である.
勉強を始めるきっかけになれば,たとえ講義から何も学ばなかったとしても,
将来受講したことすら忘れたとしても,
講義の目的は果たされたというべきである.
私の講義の方法や人格が性に合わなかった諸君は「縁」がなかったのである.
しかし,そういう諸君のために
私の講義の種々の資料がプリントおよび web pages に用意してある.
これらの資料を用意し常時公開するだけでも
給料分の働きはしていると自負しているが,
受講生諸君はどう思われるだろうか.
私の講義が合う合わないに関係なく,
私に質問をすることで勉強の能率を上げることができる.
自分の得たい知識を得るためにどう質問すればよいかという方法を覚えること自体,
有益な勉強である.
なお,私の働きが給料にも値しないと思われる諸君も,
図書館や本屋でいろいろな先生方の書かれた多数の教科書から選ぶことができる
ことを忘れないでほしい.
このページが諸君にとって私の言い訳にしか見えないとしても,
私が教師として失格だったから勉強できなかった,
という言い訳を諸君にしてほしくはない.
「講義感」に至った背景資料
1.私が学生だったときの私にとっての講義の価値
1-a.「講義は牽引車」
大学3年の春,足を捻挫して2週間入院していたとき,
ノートを持ってお見舞いに来てくれた渡辺浩さんの言葉.
入院中自分で教科書を勉強していたが,ノートと比べると同じ分量進むのに
倍以上時間がかかることが分かったので,そのように渡辺さんに言ったときの返事.
なぜ講義の方が早いか?
-
先生をその分野の先輩として尊敬していれば,
自然とそのことばを真剣に受け入れるので,
吸収が早く深い.
一人で勉強すると,「後光効果」がないので同じレベルで受け入れるのに
時間がかかる.
-
細かいところで引っかかることなく,
重要な(と先生が考える)点を強調するので効率的.
「ここは細かいことなので省略」とか「ここは議論は面倒だが正しいので信じろ」
というのは教科書には書きにくいし,教科書から読み取るのはもっと難しいが,
先生に言われれば信じることができる.
私は主要な知識を講義から吸収した.
だから,講義でやっていないところは欠けている.
そういう意味では講義でできるだけたくさんのことをやってほしいと思っていた.
1-b.質問の場
教科書の予習や講義中で分からないことがあると,
講義中や講義外に質問した.(あまりに講義外で質問しすぎた先生には
最後は逃げられた.)
教科書や講義ノートを一人で読んでいると分からないことだらけなので,
講義はそれを解決する絶好の機会である.
進度が早いのが常だったので,進みすぎて分からないことは多かった.
そのため,進度を落とし,しかも,理解のための次の質問の糸口をつかむ,
という一石二鳥になる「第一質問の方法」を修得したように思う.
詳細はもう忘れてしまったが,例えば
-
とりあえず誤植や計算間違いを指摘する.
その間に本当に質問したいことをまとめる.
-
言外の条件や説明しなかった記号は,既知扱いかもしれなくても,
とりあえず「...という条件を用いたのですか?」「その記号の意味は
何でしょうか?」と質問してみる.
もし,前に出てきた気配が濃厚でストレートに質問しにくければ
「ということは...という性質を用いるのですか?」などと関係することを
持ち出してみる.「いえ,それはここでは使いません.」なら正しい推測,
「え,なぜそれが出てくるのですか?」なら記号の意味を間違えた可能性大なので,
「すみません勘違いです.そこの記号は何でしたっけ?」と正攻法に戻る.
(その後,R. P. Feynman の "Surely you are joking, Mr. Feynman" の
マンハッタン計画の章で,図面を始めて見せられたときに意味の分からない記号を
質問するエピソードを見て,皆やっていることだと知った.)
-
「これこれこうなります」と複雑な結果を結論だけ言われた場合は,
簡単な例でどうなるか暗算し,非常識な結果が出たら,講義で出てきた
主張に翻訳して「そこは符号が逆じゃないですか」などと質問する.
再翻訳が間に合わなければ自分が試した例をそのまま質問する.
(これは研究会やセミナーでもみんなやっている.)
2.私が学生だった頃の数学の講義の特徴
物理学科出身の私にとって,
数学の講義の特徴は,ひたすら早いことだった.
こちらは基本的にノートを写すだけ.
そんなに早くても基礎事項の一部しか終わらなかった.
1年の1学期の解析学で覚えたことは「実数の集合ではコンパクトと有界閉は同値」
という定理の証明だけだった.
基本的に講義だけで勉強していた私は数学の知識が極端に偏ってしまった.
数学者は偏った人が多い
(もっとはっきり言えば「変人でなければ数学者になれない」)
というのが当時の通念だった.そのようなエピソードの満載した
パズル集のような本も多くあった.
だから,講義で知識が偏っても何の疑問も抱かなかった.
物理では教科書に「数学をやり過ぎるな」と書いてあったので,
なおいっそう数学は縁遠くなった.
今になって考えてみるとこれは当然かもしれない.
定理命題に全部証明をつけるということを他の自然科学の講義で例えると,
自然法則の根拠になった実験を片っ端から講義中にやって見せていることになる.
これでは他の科目より早くてなおかつ進まないのは当然だった.
しかし,
「証明しないと説得力に欠ける,気になる」という意見ももっともである.
理論物理学で実験と遊離した(しかも,数学的と称しながら定義すらill-defined な)
論文が時々投稿されるのは,予算や人員的に如何ともしがたいとはいえ,
実験と講義を分離してしまったカリキュラムの影響もあるのかもしれない.
(一時期数学的にも物理学的にも到底我慢できない論文が
いろんな筋から立て続けに私のところにレフェリー依頼で回ってきたが,
(中略)そのうち回ってこなくなった.)
数学の講義で証明をどこまでやるかという問題の決着は
数学の中で育った方々に是非お願いしたい.
そういう議論のあることをご存じの方は,ぜひ私にもURLを教えていただきたい.
3.受講の心構えについての立教大学佐藤文広先生のご意見
以下は,「数学原書講読」アンケート集計結果(1998年6月8日)にあった
佐藤先生のご意見のうち,と言っても実質的に全部ですが,
私も賛成するものについて,佐藤先生の許可を得て抜粋・掲載しています.
(抜粋の都合で語尾等の表現を変えた場合があります.
原典の正確な内容に興味のある方は直接佐藤先生に問い合わせて下さい.)
-
一人で勉強するのと講義に出ることの違いは,
生身の教師とコミュニケートできることである.
...
ただし,教師とのコミュニケーションに意味がなく,
借りたノートのコピーで十分な程度の講義じゃないか,
という講義内容への批判があるならば,それは反省しなければいけないので,
詳しく意見を連絡してほしい.
-
大学は義務教育ではないので,実力に応じた成績をつけるのが原則である.
テストができなければ単位は取れない.
(テストがあまりに不適切でない,という条件の下での話だが.)
-
講義に出ている者と出ていない者が同じ基準で評価されるのは不当だろうか.
...
講義で勉強しようが,自宅で夜中に勉強しようが,近所の図書館で勉強しようが,
喫茶店で勉強しようが,自由である.
講義に出るのと自宅でその分勉強するのと,どちらがより努力したかは
何とも言えない.例えば,
講義に出ておしゃべりをして自宅では何も勉強しないとしたら,
それは大した努力ではないだろう.
...
講義は,楽にできることを「難行・苦行」に変えるためにあるわけではない.
-
自分でする勉強が本当の勉強だと思います.
小テストなどのように他人から与えられた課題をこなすのでなく,
自分が疑問に思ったことを自分で解き明かすことが本当の勉強だと思います.
大学はそのための環境(例えば図書館やアドバイスを受けられる先生など)を
提供することが本来の使命です.
それをどう生かすかはあなたの問題です.
-
試験日に風邪を引いた場合には,診断書なりを持って速やかに連絡してくるならば
考慮するつもりはある.ただ,ひと月もふた月もたってから言いに来る者がいる.
埋め合わせをしたいのなら,回復後直ちに連絡を取るべきである.
-
推薦で入学したことが単位のとれない理由として通用するなら,
推薦入試などやめた方がよいということになります.
...
推薦入試は,
受験のためだけにしか役に立たない勉強にうちこむ期間を減らして,
のびのび勉強してもらうためにあります.
-
(ある学生が先生の立場だったらという仮定で次のような意見を述べました:)
「『全く出席しなくてもテストを受けなくてもCはあげます,
でも勉強したい人はまじめに講義に出てテストも頑張りなさい』
と最初の時間に生徒に断言してみたい.」
この意見は全ての先生方の本音とかなり一致していると思う.
だが,我々も社会に送り出す学生の品質に責任を持っている
(もちろん最終的には個々の学生自身の問題であるが).
単位を認定する以上は,一定のレベルを設けないわけにはいかない.
4.自問自答
-
自問.勉強するのに私の講義は必要か?
- ・
ちまたには教科書があふれている.教科書を指定すれば十分ではないか?
- ・
講義ノート,練習問題,過去問,解答例,を配布し,また web page に公開している.
眠いのを我慢して私の下手な板書を写す必要はあるのか?
- 自答.
私の講義に価値を感じる(おそらく少数の)学生諸君のために私の講義はある.
- ・
私は主要な知識を授業から吸収した.
分野の先輩としての先生の言葉は重要であり,
その言葉を真剣に受け入れるから,
教科書等よりはるかに強く定着する.
私の肉声のほうが吸収しやすい諸君のために私の講義が意味を持つ.
- ・
質問の場として.
私はわからないことを大いに先生に質問した.
勉強する上で非常に能率的だった.
シラバスにも授業の冒頭でも質問を歓迎すると言うのは自分の受けた利益を
次の世代に還元する意志表示である.
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